文章を書く難しさから、文章を書く目的について考えてみました

私は最近まで、文章を書くことが好きだと思っていました。
振り返れば小学校から、作文で大切なのは起承転結と教わっていて、
この視点と流れを意識したら、それなりの文章を悩まずに書けると言われてきました。
確かにそうなんだろうけど、
わたしにはどうしてもそれができず、とにかく頭から書き始めてしまう子でした。
頭では理解できるこの仕組みが、意識した途端に「言葉」がでなくなるのです。
きちんと書こうとするほどに、
どこかの誰かの書き方を真似て、正解を探してしまうような感覚。
そんな葛藤をずいぶんと長い間抱えてきました。
最近では発信することそのものがとても手軽になり、
多くの人が日々なにかしらの文章を書いています。
「文章を上手に書くコツ」について書かれた記事を見る機会も増えました。
気になってちょっと覗いてみると、
書かれているのは、昔習ったこと。
届けたい相手をさだめることや、伝えたいことの整理が必要というお話。
誰かに何かを言うために書く…….。
私に足りない、違和感の正体はこれでした。
私は、誰かに、何かを言いたいわけではなかったんです。
文章を書く「目的」なんてはじめからなかった。
無理矢理に作ろうとするからこそ葛藤が生まれたんだと気付きました。
たくさんのコンテンツがあふれる今の時代に
読んでもらう文章を書くには、たしかにたくさんのテクニックが必要です。
けれど自分のための文章があってもいい。
心の整理をアーカイブしていくための文章もあると思うのです。
あらためて考えてみると、
私が言葉にしたいのは、「この目で見た景色」と、「その瞬間に感じた感情の機微」。
わたしにとって文章を書くことは、
この2つをどれほど忠実に表現できるかという「再現」だったり、
ときには気付きを生む「構築」でもあるように思うのです。
記憶をたどるように、1つずつ言葉を拾っていく先に次の言葉が生まれていくわけで、
先に柱を決めて肉付けをしていくという書き方は、
思考の順序と大きく異なるというわけ。
あるときは、もやもやした感情の消化になったり、
あるときは、幸せを残す記録にもなる。
記憶や感情を表現として探っていくことが、
明日に向かって歩んでいる実感にもなる。
私にとって書くことは、自分の気持ちの整理をすることでした。
文章を書くことってとっても崇高なことにも思えるけれど、
実はとっても身近な自分と向き合うために、小さな小さな会話のようなもの。
私はこれからも、
「目の前の景色」と「感情」の表現のために、言葉を紡いでいきたいなあ。
そう思えた今日この瞬間も、こうして残しておこうと思うのでした。

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