成功者だって最初からそこにいるわけじゃない、当たり前の話

成功している人を見ると、
その人が初めから成功者であるように見えません?

この人だからできるんだろうなあ。
自分とこの人は違うよなあ。
うらやましいなあ。

そんなふうに思ってしまうこと、誰もがあると思います。

けれどたいていの場合、
その人の過去にはちゃんと苦労したお話があって、
一日やそこらで
今のポジションを築き上げたわけではないんですよね。

そんなことは頭ではわかっていても、
なかなか自分に置き換えることができないのが人間。
そんなわかりきったこと! と思ってしまうんですけれども
真似をしようと思うと重い腰が上がらないもの。

けれどやっぱり憧れる人の過去には、
必ずと言っていいほどその人なりの痕跡というか、
ちゃんと積み重ねられた努力があるんですよね。

今日はそんな
「まあそうだよね」とは思っていたけれど、
「やっぱりそうだったんだね」というお話です。

成功者だって最初からそこにいるわけじゃない、当たり前の話

そもそも何かを一生懸命頑張ることや、
ここぞという時にアクセルを踏むことも、
「努力しているよね」などと、似たような文脈で使われますが、
「努力」と「頑張る」は、ちょこっとだけニュアンスが異なるように思います。

頑張ることは必ずしも時間的な長さを条件としないんじゃないかな。
けれど、今日の話で言うところの成功者の過去にある努力とは、
たくさんの回数を重ねて試行錯誤することや、
コツコツと続ける毎日の習慣のこと。
要は時間的な長さも条件の1つにあって、
振り返ったらできている道のことでもあるなと思っています。

この過程があるからこそ、
いわゆる「成功」と呼ばれる場所にいま、立てているんですよね。

一歩ずつ歩を進めていくうちに、気づけばものすごく抜けた景色に出会い、
はじめて自分がいる場所を実感する山登りのように。
山登りの経験が浅い私は
だいだいそんな感じではなかろうかと理解しているわけです。

でも、だとすると、
ヘリコプターでも使って頂上に到達することだって
簡単にできてしまいますよね。
それも確実に山を登る手段の1つだとも思うんです。

だけれどそれじゃあダメだよな、ってみんな思いますよね。
「いや、いんじゃん?」って人もいるかもしれないけど、
たいていの人は
「それはずるだし、意味がない」って、感覚でわかると思うんです。

じゃあ、なんでダメなんでしょうね。

思うに、それが「ダメジャッジ」されてしまうのは、
実績になったとしても、自分の自信にはならないからだと思うんですよね。
「頂上に登りましたよ!」とは確かに言えるんだけど、
自分の足で登ったわけではないから、やっぱりどこか自信が持てない。
ちょっとしたズルが自分の中で引っかかってしまって、
せっかくの経験も血肉にならないんじゃないですかね。

そうなるとどうなるか。

自分の力で山を登った人と、
他力で登った自分との差がわからないもんだから、
本来得られる経験との境界も曖昧になって、
なんとなくわかっている顔をしてしまう。

そしたらどんどん素直に学ぶ姿勢を出せなくなって、
結局自信を持てないまま、半端な自分でい続けてしまうんですよね。

これ、私自身だなあって思うんです。

幼い頃、教科書に書かれた問題の答えは
巻末にあることを知っていたから、
先に答えを知りたい欲が抑えられなくて見てしまうクセが治らなかった。
理科の実験をする時でも、
この実験の先にどんな結果が待っているのかわくわくすることはなくて、
「なんでわかっていることをもう一度やる必要があるんだろう」と、
結果を予測する行為そのものが好きではありませんでした。

自分の目や耳や身体を使ってその状況を観察し、
自分の頭で考えてきっとこうだろうなという答えを出す。
その答えを試してみて違和感があれば、
それはどこからくるものなのかまた考える。

そうして試行錯誤していくことこそ、
よりよく生きることだと、いまであればわかるのに、
幼い頃はそこに気づかなかったんですよね。

だからいまも、
ちょっとズルをしたくなるクセが抜けていないのかもしれません。

けれど先をゆく成功者の多くは、
そんな日々の試行錯誤をとても一生懸命に実行しているんですよね。
本当に多くの人が、3年、5年という年単位でなにかに向き合い、
よく考えながら続けているんです。

編集者の経験がなかった松浦弥太郎さんが
「暮しの手帖」の編集長として名が通ったことも、
ある意味彼が持つ運によるところが大きいのだろうと
思っている自分がいましたが、その裏にはやっぱり、
それはそれはよく考え抜かれた毎日がありました。

「うん、そりゃそうだよね」と思いますよね。

そんな、ちょっと考えれば想像がつきそうな当たり前のことを、
私たちはやっぱり見過ごしてしまうというか、
自分もまたその努力をするのはいイヤだから、
自分とその人は違うと思うことで目を向けないようにしている感じかなあ。

いろんな「いいこと」を、
どうしても簡単に手に入れたくなってしまうクセというものが、
私にはとてもあるように思っております。

この本は、松浦弥太郎さんのマラソンとの向き合い方を
書いた本に見えますが、その実、
「誰もが続ける努力をしなければ、今見えている景色を変えることはできない」
ということを明確に示している本であると思います。

どんな成功者も最初からそこにいるわけじゃない。
「松浦弥太郎、おまえもか….!」と(失礼な言い方で失礼いたします)。

そんな本当に当たり前のことを、ぐぐっと腹落ちさせてくれる。
私にとってはそんな本でした。

ちなみに中古で購入。初版は2017年です。
出会ったのは、
『パンと日用品の店わざわざ』の姉妹店である『問 tou』です。
問 touには、
オーナーたちが偏愛するテーマでセレクトされた本が
たくさん集まっています。
どの本も、生きるヒントになりそうなものばかり。
また次回も、
私の悪いクセに気づかせてくれる本との出会いを
楽しみにしています。

関連記事:長野県・東御のカフェ・ギャラリー、問 touに行ってきました!

どうもありがとうございました。

by
関連記事